縁の道。
“縁”と書いて、“えにし”。
わたしたちの先祖は、“縁起物”や“縁結び”など
“縁”に囲まれ慈しみながら生きてきた。
私たちは何か不運に遭遇したとき、
出会いそのものを後悔してしまう。
人と仲違いしたとき、裏切られたとき、
不躾な態度をとられたとき、悪者に仕立て上げられたとき、吊し上げられたとき、
“この人となんで出会わなければよかった”
“こんな環境に身を置いたのが運の尽き…”
と、出会いそのものを悔やみ消し去る。
でも落ち着いて考えてみれば、
果てしない大地に命を授かり、
そのなかで出会い交わることはどれほど愛しいことだろう。
すべての出会いは、私たちのココロに、かけがえのない贈り物をくれる。
それがどれほど辛く悔しい想いでも。
たとえその後疎遠になり仲違いしようとも、
すべてが大切な“縁”の賜物なのだ。
無駄な出会いなんてない。
すべての出会いが私たちに新たな発見をもたらし、知見を与え、より自分らしくたくましく生きていく力をくれる。
“こうなりたい”“こうでありたい”
と切に願いながら生きている“夢人”なのだ。
これまで、そしてこれから歩んでいく道は
すべては“縁の道”。
よろこびも悲しみも、光も影も、
すべてを抱きしめて生きていこう。
すべては、自分にある。