「語彙力低下」への警笛

日本人の語彙力低下が叫ばれて久しい。

私も人のことを言えるたちではないが、昨今の
この実情は嘆かわしい。

このようなことを殊更に書く・・・そんな私は相当な
偏屈者であることは承知である。

程度の微妙な違いを、繊細な表現で例えられる
麗しき日本語、世界に誇る日本語はどこへ行ってしまったのか。

最近よく耳にする言葉に、「ぴえん」がある。
最初「鼻炎」の症状かと思った。

「残念だ」の意だそうだ。
SNSの登場による言語の簡略化の潮流であろう。

私見を包み隠さず申し上げると、
「あさましきことこの上なし」である。

「残念」という言葉1つとっても、曼荼羅の如く多くの言い回しができる。

当然、場面によって使い道はかわるが、
悔恨の念、惜しい、無念、未練が残る、悔しい、痛恨の、生憎の・・・

これら人間の微細な心情変化を、全て
「ぴえん」で一括りにしてしまのだ。

近年やたら外国の文化を学ぶべきだの語学をだのと大合唱あるいは吹聴されているが、
それ以前に「日本人」として「日本語」に誇りをもち、清廉な言葉遣いを心がけるべきだ。

決して「ぴえん」を使うなというわけではないし、使うことを咎めることはない。

ひとつの事象に対して多くの表現を知っていれば、
そのものの良さをより引き出すことができると私は考える。

p.s.

その為には、近代の文学作品に多くふれることが一番の近道だ。

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特に、私が最近読んだ作品「雪国(川端康成)」は、人物の微妙な心情変化をこの上なく研ぎ澄まされた日本語を用いて表現している。