【戦後75年~先人たちの想いをつなぐ~】
日本を守るため、自らの命を捧げた先人たちがいる。
その先人たちは、いまの私と同世代かもっと若い者だった。
「神風特攻隊」
それは自らの命を捧げる、死への覚悟だ。
彼らが記した最後の手紙。
驚くことに、そこに死への恐怖は一切書かれていなかった。
「お国のために」命を捧げることへの誇り。
家族、婚約者への感謝。
残される人たちの未来永劫への切なる願い。
手紙が届く頃にはない命。
まだまだ先だと思っていた「死」が突然現れたとき、彼らは何を思ったのだろう。
無論、恐怖で泣き明かした日々もあっただろう。
しかし、二度と還らない「出撃」を迎える前の彼らはむしろ生き生きと見えてしまう。
これが、「死の覚悟を決めた」ということなのかもしれない。
誰もが避けられない「死」
それまでに、私たちは何を残せるだろう。
これからを生きてゆく人々に、何を託せるだろう。
だからこそ、
この一瞬一瞬に命をかける。
大切にすべき人を大切にする。
見える形で、恩義に報いる。
不器用だと言われてもいい。
大袈裟だと言われてもいい。
ただ真っ直ぐ、生きてゆく。
誠実に、歩んでゆく。
あまりにも平和ボケした同世代の私たち。
もし我が身であれば、誰もが耐えられないだろう。
なに不自由なく暮らし、当たり前の生活を送れて、手に入るもの、やりたいことはだいたいできてしまう今の暮らし。
そのような暮らしに浸りきってしまった私たちに、「覚悟」という言葉はないだろう。
だから私たちは、「感謝」「思いやり」ができなくなり、誠実さを欠いてしまう。
だから私たちは、いとも簡単に彼らの想いや行いを踏みにじってしまう。
私たちは先人たちの行いを、あまりにも卑下しすぎてきた。
先祖を否定することは、祖国を否定するのと同じだ。
「日本はもう未来がない」などほざいて海外に出て、世界で活躍する日本人代表みたいな面をする人間は “恥” でしかない。
「祖国を愛せない」これは、現代を生きる私たちの社会に暗い影を落としている。
先人たちが紡いできた歴史を否定してはいけない。ちゃんと過去を見つめて、その時代の流れを理解する。 過去はきちんと振り返らない奴に、未来はない。
75年前、戦場に散っていった多くの尊い命。
彼らが託した「再び日本を平和で豊かな国へ」という想い。
その想いが受け継がれて、いまの私たちの平穏な暮らしがある。
それを、絶対に忘れてはいけない。