好きをとるか、名声をとるか。~To seek fame and money ? or Be true to yourself ?~
今日は、一年で一番昼が長い日。
いわゆる“夏至”である。
そろそろ梅雨入りしてもよい頃だと思うのであるが、ここ関西地方は一向に入らない。入ったとしても、すぐに明け、蝉が本格的な夏の訪れを私たちに知らせるのであろう。
日本の四季が少しずつ消えてゆく…気候の変化は残酷なものである。
さて、こんな時候の中で、私は前回の執筆から1ヶ月、真剣に考えたことがある。
それがまさに“好きをとるか、名声をとるか”である。
これは、人生において最も難儀な選択であり、人生において大きな選択を迫られたとき、この問題と向き合うことになる。
この選択において、どちらを選んだにせよ、正解・不正解はない。すなわち答えはない。
なぜなら、この選択の結果をどう捉えるか、換言すれば正解・不正解を決めるのは選択した本人だからである。
勿論、名声を手に入れた方が物理的に裕福になり結果的に豊かな人生を送れるという考え方もあるし、
好きを大切に持ち続けることで精神的に豊かな人生を送ることができ、物理的な幸せは後からついてくるという考え方もあるだろう。
しかし、私は確信する。
好きをずっと大切にしつづける方が幸せである。
名声というものは、あくまで他人から見た評価にすぎない。
確かに“働く”という意味においては、「○○で働いているんです」といって周りから賞賛される方が気持ちいいであろう。
しかし、それは永遠のものなのであろうか。名声というものは、ほとんどの場合、はじまりが来れば必ず終わりが来る。
そしてそれは、本来ありたい自分の姿なのだろうか。
「周りから賞賛されたい」「周りからよく思われたい」こればかりに気が向いてしまうと、本来あるべき姿、“自分らしい生き方”ができないのではないだろうか。
私は3年前から、海外にいる多くの日本人の方の人生話を聞いてきた。
これらに全て共通することは
“周りの評価を気にせず、今と未来を見つめて自分らしく生きている”
ということだ(そんなつもりはない、という意見もあるかもしれないが…)。
たった一度きりの人生、見栄など捨てて、自分らしく心豊かな人生を送ろうではないか。
“どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 好きなものは好き!と言えるきもち抱きしめてたい”(槇原敬之 どんなときも。)
Thank you for reading !