「見返り」なんか求めるな。
私がいちばん私らしくいられる瞬間。
それは、「誰かのために尽くして、喜んだ顔が見られること」
確かに、その瞬間は楽しい。
しかしこれが何年も積み重なり、周りの幸せを見るうちにいつの間にか私の心は廃れてゆく。
好きでやってたはずなのに、いつの間にか気を遣い無理していた自分。
「あれだけ助けたのに報われない…」
「どんなに手を貸しても感謝されない…」
人に幸せを与えてばかりで、自分は何ひとつ幸せになれない。
「好きでやってるんでしょ」と、恩知らずの人間の心ない言葉に胸が痛む。
私の長年の悩みの種だ。
「見返りは返ってくる」なんてまやかしだ。
「見返りを求めるな、尽くせ」とよく言うが
私たち人間は元来、欲にまみれた生物だ。
多少は己の元にも幸せが運ばれてこないと、心許なくなる。
この矛盾と葛藤していたこの頃、私はある結論にたどり着いた。
「見返りを求めることは、他人に人生を邪魔されている状態である」と。
そもそも人というのは、恩知らずなものだ。
人からされた恩など嘘のように忘れ去り、
目先の薄っぺらい愉しみに走る。
そんなものに見返りを求め、
やりたいことも出来ない人生を送るのは
最も愚かな行為ではないか。
だから、人に期待などしないこと。
けれど、心から信頼できる人を探すこと。
そうすることで、私たちの人生はもっと輝かしいものになるはずだ。
人に振り回されるな。
離れていく人間は放っておけばよい。
人間はわがままで恩知らずだ。
けれど私は、
だからこそ私は、
悩める時に寄り添えて、
感謝も気持ちを正直に言える人間でありたいと強く思う。
そうあろうとする私の背中を、
必ず解ってくれる人がいるから。