謙遜ばかりでなく、自信を持って、ポジティブに。

令和元年になり、はや半月。

 

前回のブログ執筆から、色々な事があった。

特に、自分と向き合う時間がほとんどを占めていた。

これまでどんなことを経験してきたのか、どんな成果をあげてきたのか、どんな力を身に付けてきたのか、原動力は何か、そして…自分とは何か。

このような時間を過ごす中で、1つ気が付いたことがある。

 

これまで謙虚になりすぎてきたのではなかろうかと。

“謙虚”…それは、自分の実力や成果に驕ることなく、いつも冷静に、自分に足りないものは何なのか、今をもっと良くするためにはどうすればよいか、向上心を持ち日々生きていくことである。

確かに、聞こえばえの良い言葉であるし、このような生き方は正直、格好良い。

この気持ちが消失すると同時に、人として“終わり”だ。

それくらい大切な信条。

しかし

あまりにも謙遜しすぎると、それが仇となって返ってくる。

自分の経験を胸を張って人に伝えられない。自分のやってきたことに自信が持てない。本来の力を発揮できない。この経験を、私は“就職活動”というもので経験した。

周りの学生を、街を歩いている学生を見渡してみる。

それぞれに、様々な人生の物語があっただろう。それは決してうまくいった事だけでなく、辛いこと、失敗したこと…色々な過去を乗り越えて、今の自分がある。

そんな自分に、胸を張って生きているようで、キラキラしているように映った。

 

そこで、私は決めたのだ。

“自分に自信を、持とう”と。

これまで、今の自分を変えるために、様々なことに挑戦し、自分なりに努力を重ねてきた。上手くいったこと、とんでもない失敗をして迷惑をかけたこと、逃げ出してしまったこと、周りの人々に励まされたこと…様々な経験を、できないなりにもがきながらやってきたからこそ、今の自分がある。

自分に自信がなかったからこそ、“周りができるのになぜ自分ができないんだ”という悔しさをバネに行動してきたからこそ、成長してこれたのだと思う。

 

これまで、周りの人に褒められても、素直にそれを受け入れてこようとしなかった。

自分の中で、こんなもんで褒められているようではだめだ、納得がいかないという

“頑固”な面があったのだろう。

しかし、いつまでも謙遜をしていると、自分に自信がなくなる。自分はいくらやってもだめだという、ネガティブなマインドに陥ってしまう。まさに、令和が始まるまではこんな状態だった。そこで、

“これではだめだ。良い機運・チャンスを逃してしまう。

謙遜する時は終わった。今は、自信をもって全てをさらけだす時だ”

自省は散々してきた。もういい加減いいだろう。

自分という人間を尊重し、自信をもって行動しよう。

このマインドに代わってから、物事が良い方向へと進むようになってきている。

少しスピリチュアルな話になってしまったが、時にはそれを味方につけてもよいのかなと今は思いつつ…最後に、この言葉で締めくくりたい。

 

Have a confidence, to be successful.