自分のことは他人の方がよく知っている

 

3月の下旬ということもあり、日本はすっかり春のあたたかな陽気に包まれている。

私の地元でも、とある神社の前では桜が咲き誇っていた。

 

こんな暖かな日差しが降り注ぐときに旅から帰ってくればよかったな、なぜ先週のような雨がしとしと降る寒いときにタイという常夏、いや、灼熱の国から帰ってきてしまったのかとつくづく思う今日この頃である。

 

今日は1日オフという事もあり、母校の演劇を観劇した。

私もわずかではあるが演劇をしていた時があり、中学生や高校生が演じているのを見るとパワーをもらえる。

芝居は人々に勇気や感動、様々なメッセージを与えることができる。それが芝居のパワーであり、魅力である。

もう一度だけ機会があれば演じることをしてみたいなあ、芝居はいいな、そう思った。

 

さてこの芝居というものは、観客の前で上演して初めて、その作品の良さや評価が分かるのである。身内でやるのみであるなら何も意味はない。ただの自己満足にすぎない。

 

”自分”というものも同じで、他人の前にでてはじめて、自己とはどんなものなのか、どんなポテンシャルを秘めているのか、どんな人物なのか、ということが分かるのである。自分の世界に閉じこもっているままでは分からない。それは自身が頭の中で作り上げた、理想という名の虚偽の自分に過ぎない、つまり自分がこうなりたいといいようにもっていってそれを自己として判断してしまっているに過ぎない、ということである。

 

来年就職活動を控えていることもあり、自己分析ということをしなければいけない時期が迫ってきており、その中で自分とは何なの、何に長けているのか、何を武器に社会で活躍していけるのかということをしみじみと考えるようになった。

 

この時に一番大切なのが、周りから自分がどう見られているかということだ。

 

今月に2週間ほどハノイホーチミン、そしてバンコクに一人旅に行っていたのだが、そこで出会った人々との交流を通じて、自分がどういうものを武器にして就活に活かすのか、さらには社会で活躍していくのかというものが人々との交流をもってのみ生まれるということが身に染みて分かった。

 

また、これは旅をもってのみ体験できると私は考えている。

旅はときめきに満ち溢れている。

異文化理解ができるからとかそういうありがちな理由は聞き飽きた。そもそも違う土地に行くのだから、それは感じて当然のことである。

大事なのは、その異国の地での旅これがの様々な出来事や出会いをを通じて、自分とはどういう人間なのか、自分を見つめなおすことができる、これが旅の醍醐味である。

 

自分の価値は、外の世界に出てみないと分からないのである。

 

He who does not travel does not know the value of men.

旅をしない者は人間の価値をしることはできない。

 

もっと旅に出ようではないか。

 

                                                                                             2018.3.27 Ikko Okura