ひとえの着物

 

いまと今とを紡ぎながら 

人は今を生きてゆく

 

過ぎ去りしいまを慈しみ 

未だ来ぬいまに思い馳せて 

 

私はその紡いだ繭で   心の絹を編んでゆく

時間というのは残酷なもので   

蚕たちに暇を与えることはない

 

人間は脆いいきものなので 

15カラットのダイヤの無欠さを信じてやまない

人間はいやしいいきものなので

みにくいアヒルを陰で嘲笑う

 

そうして絹はだんだんとほころびて

わたしたちの眼が霞んでゆく

 

いま振り返ればもうそれは過去となり

また新しい今がやってくる

 

新しい繭は純白で透き通っていて美しくて

窓から差し込む眩い未来に思わず息をのむ

 

それらをただひたすらにひたむきに

わたしはいまをわたしなりに編んでゆく

 

何にも代えられない   たったひとつの衣

 

それをひとは愛と呼びます

それをひとは幸せと呼びます

ヒア・カムズ・ザ・サン

 

やわらかな光にさそわれて
私は目覚ましのタイマーをとめる

 

カーテンを開けると 今日が私を出迎えてくれる

小鳥たちが挨拶を交わし こおろぎもそれに応える

 

どこまでも澄みわたる高い空に永遠を感じながら 足跡を見つめる

 

どこからきてどこへゆくのか
限りある私たちはつい追いたくなる

 

ほら そうしてるうちにぐんぐん日は昇ってく

 

ヒア・カムズ・ザ・サン 今はここにある

 


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「素直ってのは」

 

素直ってのは楽なもんです

 

うんうんうなずきにこにこわらって

 

ただ風に吹かれるままに揺れている

 

吹かれるたびに綿毛をふわり 

 

あっちの人にもこっちの人にも

 

見たいものだけ見せてあげよう

 

誰も傷つけない保身
罪なき偽善

 

そのうち綿毛は生えかわり

 

人びとは通りすぎる

 

都合のいい生き方

履き違えた平和主義

 

ぽつんとわたしだけになったとき

 

その花はもうなかった

 

“フォレスト・ガンプ”からの便り。

 

多くの人たちが羽を休める金曜日。

 

金曜ロードショー」で放映されている、多くの人が

愛の眩さと儚さに涙しているであろう不朽の名作「タイタニック」を横目に、

 

私は別の作品で、何とも言えぬココロのじんわりと温かい感触に浸っていた。

 

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トム・ハンクス主演、1994年に公開された“フォレスト・ガンプ-一期一会-”

 

身体的ギャップを抱えていたり、医者から知能が劣っていると言われたり。

幼い頃から“変わっている”と嘲笑の的にされ、

決して順風満帆な幼少期ではなかった主人公。

 

しかし、“ソウルメイト”ともいえる少女との出会いが、今後の

彼の人生を大きく変えていくことになる。

 

ベトナム戦争への出征、そこでの“友人”との出会いと別れ、

戦場で亡くなった“友人”との約束の成就、

繰り返す“ソウルメイト”との再会と別れ…

 

時には静寂の海、時には燦々と降り注ぐどこまでも続いてく野原、

時には荒れ狂う嵐。

 

山あり谷ありが人生で、得たものや失くしたもの、

嬉しいことや辛いこと、出会いと別れもある。

時には、変貌ぶりに失望してしまうこともある。

 

そんななかで、彼が失くさなかった、たったひとつのもの。

 

“自分のゆく道を、信じぬく心”

 

どんなに嘲笑されても、呆れられても、白い目で見られようとも、

彼は決して妥協しなかった。

 

自分の心に決めたことを、ただひたすらに信じぬいた。

いつも、大切な相手の幸せを祈りつづけた。

誰に何を言われようと、自分の道を突き進んでいた。

 

そして何よりも、

自分の心に、正直でありつづけた。

 

世の中の情報に常に翻弄され、影響される私たち。

顕在化できる“評価”にすがりつき、囚われつづける私たち。

順位への執念を捨てきれずに、画一化されたトラックを走り続ける私たち。

 

それでもただ無情に進んでゆく時間のなかで、

これらといつも格闘しながら、問答しつづけていく。

 

“私のほんとうに進みたい道はどれなの?”

 

嬉しいときは、とことん嬉しくなればよい。

悲しいときは、とことん悲しめばよい。

怒りに苛まれるときは、とことん怒ればよい。

傷ついたときは、泣きはらせばよい。

ひとりで抱えきれないときは、誰かを頼ればよい。

 

ただ、自分の心に正直に、真っ直ぐ向き合って生きていこう。

一番に、自分の心を労わってあげよう。

抱え込んだ過去の感傷と向き合い、ありのままの気持ちを抱きしめよう。

 

自分の道を、ただひたすらに、信じてやまない心が、

いつか必ず、かけがえのない幸せを運んでくる。

 

それが、私たちそれぞれが持つ“運命(さだめ)”だから。

 

そんなことを、“フォレスト・ガンプ”から教えてもらえた、

初夏らしくない湿った空気に包まれた、五月の宵の金曜日であった。

“素敵”の“敵”ってどんな“敵”?

 

大海原に抱かれるように沈んでゆく太陽を見て、“素敵だなあ”と呟く。

 

華やかなネオンに染まる街並み、さんざめく灯りを見下ろし、“素敵ね”と囁く。

 

ある人の優しさ、勇敢さ、真っ直ぐな瞳に、“素敵な人だね”と心魅かれる。

 


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ー素敵だねー

ある日の昼下がり、読書にふけっていた私の頭に、ふとこんな問いが浮かんだ。

 

“素敵”の“敵”は、なぜ“敵”なんだろうかー

 

“素敵”だと感じるとき、とりわけ“人”に対して感じるとき、

そこに“敵”対意識は生じないはずである。

 

あれこれ考えていくうちに、こんな結論に達した。

 

ー“素”で“敵”わないから、“素敵”なんだー

 

“素”というのは、ココロの真の姿であり、すなわち“本心”である。

妬みや劣りを感じることなく、純粋に“敵わない”と感じたときに初めて

“素敵”と感じるのである。

 

…ここで幕を下ろしてしまってはどうも味気ないので、再考してみる。

 

私たちはたいてい、“自分が持っていないもの”“努力しても到底できないもの”

を他がやってのけているのを見て“素敵”だと感じるのだろう。

 

 

それは間違ってはいない。

けれど、いま一度、ココロに問いかけて欲しいのだ。

“私もそんな一面があるのかもしれない”と。

 

“素直で嘘をつかない、心が綺麗な人だな”

“どんなときも、逃げずに真っ直ぐ向き合える人がいいな”

そう感じるということは、自身にもそんな一面があるからなんだと最近気が付いた。

 

私は、そんな一面を持つ自分を受け入れることなく意地を張って生きてきた。

嘘がつけないのに自分に嘘をつき、誤魔化せないのに顔色を伺って誤魔化しつづけてきた。

だが、真剣に真っ直ぐに、あの時の感情を受け入れきちんと向き合ってみると 

私のなかの“わたし”が、これまで身動きがとれず縛られていた私が、

縄をふりほどき、駆け出した。

なんの曇りのない、透き通った瞳。

 

ありのまま生きていれば、同じ面を持った人に囲まれる。

“素敵だな”と思える人と出会える。

“素敵”な人と、また繋がれる機会がやってくる。

 

こうやって、縁はつながってゆく。

 

“素敵”と感じる瞬間とは、

その人がその人らしく、本音のままで生きている瞬間である。


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自身を労わり、許し、受け入れている証拠である。

“すべては自分なんだ”と、自分を信じられているからこそなのである。

“本音で生きていいんだ”“思い通りの人生を望んでもいいんだ”

“どんな感情も、素直に感じていいんだ”

 

そう心から思えた瞬間、

私たちは誰もが“素敵な”人になれる。

 

このご時世だからこそ、

私たちの“ほんとうの心”を解き明かす

“素敵”な旅に出掛けよう。

 

「拝啓、かつての私へ。」

 

“過去は変えられないけれど、未来は変えられる”

 

人は辛い経験をしたとき、この台詞を常套句のようにつぶやく。

いつまでも下を向いていられない、

こんなことで躓いていてどうする、

そう戒め、鼓舞する。

 

手綱を握り直し、喝を入れ、再び歩み始める。

そしてまた何かにぶつかった時、気が付いてしまうのだ。

また同じ過ちを繰り返しているではないか、と。

 

ふと、爛々と輝く星空を見上げてみる。

“なぜ、望まない物事ばかりが繰り返すのか……”

 

私自身、このジレンマから抜け出すのに四年以上の月日を要した。

何か嫌な予感がする度、今度こそはと意気込むものの、なぜか

望まぬ方向に運ばれてしまう。

 

そして周りを見るたび

“なぜ私だけ幸せを掴めないんだ”“まだまだ辛抱が足りないのか”

自らの不運を恨み続けてきた。

幸福の女神は、荒涼と化した大地にいつ愛情という慈雨を注いでくれるのか……

 

そんな時、覆いつくす雲の隙間からふと星空がのぞき、私にこう語りかけた。

“置き去りにしてきた本当の気持ちに向き合ってあげて”

 

私ははっとした。

あの日あの時、あの出来事からココロの時間が止まってしまっていたのだと。

“人の同意を得ず自分の意見を述べるのは独りよがりだ”

この言葉が、私のココロを縛りつづけ、こびり付いて離れなかった。

今も思い出すだけで、悔しさで涙が出そうになる。

 

それ以来、私は私であることをやめてしまっていたことに気が付いたのだ。

その場を去るとき、散々泣き明かして心は晴れたと思っていたのに。

実際は本音に蓋をして、自責と挑戦という鎧で心を埋め尽くしただけだったのだ。

誠実で素直でありたいことを他人に求めているくせに、自分がそうでなかったのだ。

 

そして私は、四年前の“ほんとうの自分”と真正面から向き合うことにした。

もうあの時の自分を責めたりしないと心に誓って。

 

映りゆく空模様を感じながら、四年前の自分に宛てて手紙を書いた。

走馬燈が駆け巡る。悔しさ、不安、悲しみ、怒り…これまで目を背けてきた

感情が一挙に溢れ出し、涙が込み上げてきた。

空も俄かに灰色になり、風が吹き荒れた。

気がつくと、A4サイズの紙に7枚になっていた。

 

そして書き終えた時、黒いヘドロのようなものがが心から吐き出され、

水色の儚くも透き通った水泡となって空に昇っていくのを感じた。

いつの間にか、灰色の空は暖かい春の青空へと変わっていった。

 

私はようやく、赦しと慈悲を与えることができたのだ。

錆付いて動かなかった錠前は外され、ココロの扉がようやく開いた。

春らしい、愛のぬくもり爽やかな風が、心を通り抜けた。

“過去が変われば、未来も変わる”

そう感じた瞬間だった。

 

私はこれから、ほんとうの私で、素直に誠実に、嘘をつかずに生きていく。

 

“辛さ”は、“幸せ”の一歩手前。

 

これからの、これまでの、全ての出会いと縁に愛を込めて。

 

 

"Rocketman"にみる“自分を愛する”ことの真実。

 

私がいちばん好きな映画 “Rocketman”。

私の混迷期に一筋の光をくれたこの映画。

 

Elton Johnの、私たちへのメッセージとは何だったのか。


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それは、“自分を愛すること”。

人と比べるのではなく、今のありのままの自分を好きになること。

無垢な私は、これをそのまま受け取り、自身の光も闇も好きになるよう励んできた。

 

しかしここにきて、

私は彼の金言の真意を分からぬままここまで歩いてきたと気づいてしまった。

 

映画の中で幾度と流れる回想シーン。

走馬灯が駆け巡る。

当時の出来事や感情が、皮肉にもリアルに、追体験のごとく甦ってくる。

 

その時の感情に蓋をして、偽りや勘違いを塗り重ね続け、本意でないまま自己を圧し殺してきたことに気がついたときだ。

 

彼は初めて、過去の自分と向き合い、慈悲を注ぐことができたのだ。


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目を背きたくなるような過去もある。

自分の愚かさや拙さに閉口することもある。

誰かしらから投げかけられた言葉に、気づかぬうちに囚われ続けていることもある。

それは時に、身近な存在であることもある。

 

その時の自分自身、その時の感情をすべて、からだじゅうで感じてみる。

すると、その時感じていた違和感や本心が見えてくる。

それに気がついたときに初めて、

過去の自分と向き合える。

その言葉を投げかけた相手の気持ちも痛いほど分かるようになる。

それが親であれば余計に。

拙さも至らなさもすべて、抱きしめられる。

そして、過去の自分を許すことができる。

 

こんな時だからこそ、

知らず知らずに抱えてきたココロの荷物と向き合い、“ありがとう”と、サヨナラしよう。


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