しあわせ運べるように~あれから25年~

1月17日。

今まではあまり意識したことはなかったのだが、

神戸に生きる人間として、神戸を離れる前に行っておかなければならない、知っておかねばならない、そんな感情に駆られ、あの場所を訪れた。


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三宮・東遊園地、1.17の集い。

 

1995年1月17日、午前5時46分。

 

未曾有の大地震が、神戸の街を襲った。

 

「株式会社神戸市」とも揶揄された

山を開拓した都市開発で、

現在のポートアイランド六甲アイランド、そして埠頭が建設された。

一時は世界第三位の貿易取扱量を誇るほど、

歴史と伝統ある誇り高き「国際貿易港」

だった。

以前から断層が複数走っていると言われては

いたが、大丈夫だろう、そう考えていた。

今とは時代が違うから、それは致し方ない。

 

だが、それにより命を落とした人が大勢いる。

また、当時のマスコミの報道姿勢も問題となった。

本当に必要としている情報を伝えず、

誰が見てもわかる実況のみ。

上空を飛び交うヘリコプターのせいで

瓦礫に埋まった生存者の声が聞こえず、

救われるはずの命が亡くなるはめになってしまったそうだ。

この教訓は果たして活かされているのだろうか、活かされたのだろうか。。

 

当然ながら、私はまだ生まれていない。

 

ただ、小学校でこの時期になると、

阪神・淡路大震災についての資料を読んだり

「しあわせ運べるように」

を歌っていた記憶がある。

 

親からも、被災したときは線路が寸断された

ため、かなり遠回りして通勤していたという話を聞いた。

塩屋も、山陽塩屋駅のホームがJR塩屋駅まで

崩落してしまったらしい。

 

あれから25年、町は驚くほどのスピードで

もとの姿にもどってきた。

しかし、まだ人々の心には震災が残っている、置いていかれたままだという声も実際に

聞いたことがある。

乖離があるのは致し方ないことなのか。

私にこれについての正しい答えはわからない。

ただ、自分が生まれ育った町のことを知って

おくことは必要であるし、行ってよかったと感じている。

 

生まれ変わる神戸のまちに、

しあわせ運べるように。

 

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