昨今のネット社会への違和感

一週間は早いものだ。

私は毎週土曜日に深夜0時から始まるさまぁ~ずの「さまぁ~リゾート」という世界各地のリゾートを紹介する番組を見るのが愉しみであり、この番組を見るたびに、もうあれから1週間経ったのだな、と感じるのである。

 

今回はフィリピンのセブ島の特集だ。

私が2回短期留学した場所であり、そこの語学学校での色々なバックグラウンドを持つ人々との出会いは、私の価値観を大きく変えてきた。

「一期一会」という言葉があるが、この留学にせよ大学での活動にせよ、本当に周りの人に恵まれているなと自分でも感じるし、またそれが唯一、神様が私にくれた”賜物”なのかもすしれない。

ただ今年、バレンタインという日は私にチョコレートという”賜物”をくれることはなかった。

 

 

そんな私のバレンタインのお寒い事情はどうでもよいとして、今回の小噺は

「昨今のネット社会の違和感」

21世紀に入って情報通信技術が発展し、世界中の様々な人が自分自身の意見を自由に表現することができるようになった。20世紀中ごろまでの言論統制、日本で言うと治安維持法といった個人の表現の自由を奪う、といったようなことはほとんど無くなった。

しかし最近、日本でその自由な意見の発信が他人を傷つけるといったことが増えているように思う。いわゆる”叩く”というやつである。

最近でいえば、日曜日の午前にやっている某番組のベテランお笑い芸人さん2人とサラブレッドの元野球選手が ”Excel” を知らなかったということで、ネットで「常識がない」といった意見が多くみられた。

よくよく考えるとこれはおかしな発言だ。確かに社会で働く人にとっては、普段からグラフの作成や表計算で頻繁に使うことも多いであろうから知ってて当たり前かもしれないが、芸能界ではまずそれは使わない。MicrosoftOfficeにはめったでない限りお世話にならないはずだ。知らなくても芸能界で活躍していけるし、絶対知っておかなければならないものではない。

 

このように自分の尺度だけで相手を批判したり、趣旨のずれた的外れの批判をする人が多いように思う。あらゆることと反対の事を言うことがかっこいいと勘違いしているなかなか見ていてイタイ人も中にはいる。

それに便乗してあれやこれやという人が増え、いつの間にか大衆の意見となってしまうのである。それが間違ったものであったとしても。

 

十人十色という言葉があるように、人の数だけ考え方や感じ方がある。色々な感性や感情、考え方があっていいではないか。人生だってそうである。人の数だけ道はある。それを他人の尺度だけで、世間のなかではマイノリティーだからだめだとか勝手だとか言って批判する人も大勢いる。そんなことを言われる筋合いもないし、言う権利はもちろんない。

この情報社会が発展していく中で、色々な人の考えを尊重すべきであると同時に、ちょとした一言が大衆の意見となり間違った尺度で人を傷つけることになるという事を我々は理解しておくべきだと、強く感じるのである。

 

そんな言論・表現の自由に関するドイツの詩人・シラーの名言がこちら。

The voice of the majority is no proof of justice

"正義の尺度は声の多数ではない"

 

何でも”Yes"でいいのか、サイレントマジョリティー。